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《もうひとつの相見、そして見性》
そして、いよいよ悶々の情に耐えない時に、初めて行って。行ったらこうやって横になって寝ているんですね。
「あんたか、敬宗君というのは」と。
さあ今まで会うた人というたら、裃を着てしか会わないでしょう、一流の人は。それを何にも、てらうとこもない。
ただ人間が人間そのままで会えた。
その時は、感心しとるけど、わたしの胸の中というたら違いますよね。
臨済でやってきとるから、承知がならん。
どんな人に会うても、寝てから相見するなんていうお師匠さんは未だ曾て見たことがありません。
「俺な、今、十二指腸潰瘍を取りおるから、ちょっと御免ね」と、一つもてらうところがない。これは何だ、と思うたですよね。
それで話しよるうち、
「仏法は滅か、不滅かな」
「わたしが生きている間は、不滅ですよ」
「ほほー、それを敬宗君知っとりゃ、偉いじゃないか」
と、まるで三つ子にものを言うようなもんですね。
「いやな、わしもな、若い時は飯田欓隠始め、臨済でも大分苦労したがな、だけども、もうそんなものはな、ここの問題でな、芝居だよ」
「じゃ老師はどうして、何を得たから満足しとられる」
「得るものは初めからないのじゃ。備わっとるよ」
「何を備わっとるんですか。備わっとるのは。修行とか禅とかいうのは、禅の本義は何ですか」
「臨済でやっておるのは芝居、曹洞宗でやってるのは行儀の見習い。
そんなものは、お釈迦様、何にもお教えになってないよ。釈迦の知った世界というのは、息をするこの根源を明白にしたんじゃないか」
と、こう言うのです。これは、と思うたですね。
「じゃ、生命の根源、仏性は何ですか」
「ふーっ、これ分かるか。ふっ、分かるか、敬宗君」
ふーっと、息をひっかけ(ドンッ打卓)、
「おいっ、息というが、これがあればこそ生きとるんじゃないか。お前の体を養うとるんじゃないか。この粕じゃないか」
と。さあ、未だ曾て聞いたことのない言葉ですよね。
「じゃ、どうしたらいいんですか」
「ただ、あるべきように、何も求めずに。それは後で役に立つから、今までやって来た事は役に立つから、ここへ暫く置け。
そうして、もう何にも求める事をやめて、このままでおれ」
さあ、やろうとすると湧いて来るんでしょう。今までやったこと、ありとあらゆるものが、本当に限りなく出ます。
そのたんびに、もうすぐに行って、自分で処理をせずに、老師の所へ。
「こうこうしてちんぼがたったんですが、どうしたらいいですか」
「ほっときなさい、静まる」
それを聞いて帰って坐ったら、静かになりますね。それで
「眠うてたまらんのですが」
「ああ、気持ちよう寝なさい」
もう、自分で一つも、起きて来た問題に対して、これだけの体で起きて来たことは、何一つ隠さずに言いました。
もう、起きるとすぐに言うて、そしたら、それをほっとけとか、取り合うな、とか言うて、きちっと答えをしてくれますから、その通りにおったのですね。
そうして、八月の晩の月夜によって、ああーら。つねってみましたよ。
うーん、もうあの、真ん丸い月一つ。もうあの通り何にもない。
我もなければ、今までの自分というもん、何にもない。
つねってみました。確かだ、気は確かだ。
よーし、と思って戻って、
「表へ出た途端に、戸を開けたら、月と一つになって、何にもなくなったんですが、どういう訳ですか」
「それは知っとるからつまらん。何にもなかったら坐んなさい」
「はいっ」
と言って、そして実性寺に坐っとったら、もう戸を開けて坐っておりますからね、八月で。
こうですね、薮が。ざっざっざっ、こう動くですね。
自分もこうなる。うーうー、もう声を出す気も何にもないのに、全身全霊が、もう、薮と一つになるんですね。
それで又、飛んで行って言う。
「それもいい。それも放っとけ」
一つも、もう言われた通りに。もうこれは、よしっ、托鉢も止めて、もうそこらの草や何でも食おう。
八月ですから、木の実はありますしね、果物はあるしするから。
うどん屋で、ただで、うどんを食わしてくれて。
今でも行くたびにお礼を申しますが。
そして、あれは食わずにやっとる、と言うて、持って来て食わしてくれたりね。
色々してくれたんです。そうこうしおる中に、「もうここではだめだ。
だから(龍泉寺の)本堂へ坐らせてくれ」言って、あそこの床の間の、床柱を背にしてやって、三日目ですね。
あそこの奥さんが廊下を通って歩いて行く音が、トン、トン、トン。
「あっ! おれは、何だ。体も何にもないじゃないか。こう言って、喋らすもとが、おれじゃないか」
という-。
ああー、うれしかったですよね。うれしくて涙がボロボロ-。
《末後の牢関》
浜松が亡くなる時分に、
「敬宗君ね、わしもやってしもうて何にも不自由はなかったけれど、ある時、ひょっと気になり出したものが出た。
だから敬宗君も必ず、わしらの所から去って帰ったら、今はないけれど、いつかそれで自問自答する時が来るから、
その時には、それを逃げずに、四つに組んでやれよ」
と、こう言われた。
なーに、もうこれ程どうしたってきれいになっているのに、何を、と言っていたのが、どっこいですね。
禅だの宗教だのいう一つのことを立てて、それの上におってしか話をやろうとしないのですね。
ところが、そういうとこへ、ひょっと気がつきまして、あっここだなっと。平生の事態ということを-。
(別の機会の法話)
老師が最後の亡くなられる一週間前に行った時に、小さい声で、
「敬宗君、必ずや、今はもう、うれしい盛りだから、山の絶頂だから何にもないけれど、
おれが死に、だれーもおらんようになった時に、
ひょっと自分の欠陥に気付くから、その時は逃れずに、それと四つに組んで解決をせよ」
と言って、もう最後の別れが、それだったんです。
そうすると、帰って、去年一昨年ですね。
「何故、見性せいだの、何故、悟れだのいうことばかりを、わしは言うんだろう」
と、ひょっと気がついたんですね。
《単に切れて行く》
一番大切な事は、今、こうしておる事で、このまんまに自分を、「わたし」っというもんをね、
立てとらなかったら、このまんまでいいのです。
それが分からんから立てるんですね。知ろうとか、何とか。
それは結局、煩悩、病いですね。
だから、どうか、今度お帰りになってもね、こう、店のそろばんを弾く時はそろばん、草を抜く時は草、飯を食う時は飯というようにね、
単に切れて行きさえしたらいいんだと、先ず第一それをお思いになって、覚えとくもどうもいらんから、それは必要ないですからね。
だから、あなたが一切、朝から晩まで、晩から朝までおやりになる事自体が禅である、という根本にお立ちになってね、おやりにさえなれば大丈夫です。
だから、一番、「ははあ、敬宗君が、こういう事、言っとったが、これか」と、納得をされる事は非常に駄目ですからね。
《概念による縛》
「道」という一つの概念を立てるから問題がある。道じゃの、悟りだの、どうだのというような概念だけをがんじがらめに、自分が自分で縛っておるんですね。
それを、だから、老師はおっしゃったと思いますよ-「放てば満てん」、ね。
放してしまえば、そうしたら「自分は、元来、あったじゃないかないか」と。
それが求めようとするもの程、もう、どうしても、もう、じーっと結んで放さないんですね。
それに自分が自分で苦労するんですね。
《袋は袋のまんま》
だから、もう、どんな事をしておっても、確かに、あの(紙袋を出される)-本当はね、このまんまでいいんです。
もう何にも、人間このまんまで、袋は袋で、これでいいんですよね。
だが、どうしても落ち着けないんですね、このままでいいと言っても。
人間はもう何もそんな道じゃの、禅じゃの言わなくても、このままで何も不自由はないじゃないですか言ったって、
だって俺は不安だとか、いやどうだとか言って作って来よるんですね。
《一つの方法》
何でもいいから、一つ自分が決めておくんです。
何か思い出したら、(トントントン打卓)「あ、この音と同じじゃから、考えを放ったらかしておけ」と。
もう自分で、むしゃくしゃしおると、ここと、ここが動いて、いつの間にかアンコにしますからね。
そして自分流の考えの上に立ってしか、やらなくなりますから、それだけ遅くなる。
だから、もうそういう時は、自分が困った時は、(トントントン)「あ、そうか、カラだな。この音と同じだ」もうそれで、ツッと消えますからね。
そしたら余分なことを、一つも作って行かんでしょう。そういうような一つの方法をとっとくんです。
《一切放下》
「何も考えずに、音に注意せい」言うんでしょう。
「聞け」と言うんでしょう。
「聞け」と言うたら、いつでも念を立てとることですね。
その念を立てるから、いつまでたっても駄目です、それは。
もう、何にもなしでいいの。
目は目、耳は耳、口は口。この業識を全部分散して、任しておりさえしたら、
いつも自分は性-生命の根源におるから、何でも入って来るんで、偏って、そんな、「これにしなさい。あれにしなさい」って、一っ言もいりません。
決め所がないから、縁に従っていつでも入って行ける自分が明確なんですね、ゼロだから。
それを一つのものに、何か音で、音でと言ったら、知らない間にそのことに行って、ほかのことは、いつでもそれにじーっとくびりついている。
そこでは駄目。それは、やっぱり老師の言ったところの、「放てば即ち満てん」と、放し切ってしまうんです。
そこでさえおれば、不安のようだけれども一番早いの。
その不安の、もう何にも持ち物もないゼロの状態でおりさえしたら、縁は待っているんだから、
こちらがちゃんと、もうきれいに、きれいに、スッカラカンになるのを待ってるんだから。
だからどうか、そのことはそのことで、ありがたいと思っておいといて、そしてどうかこれからですよ、一切を放下した状態におって下さい。
そうしたら早いんだから。
みんなね、それができないから、みんな苦しむんだから。何かに、なんかに自分をこう、くっつけておらないとおれない。
そこのとこが大切ですからね。
だから、老師が一番初めお会いになって、「何もそのままでおればいいじゃないか」と、おっしゃったこの一語は、
もう本当にね、もうなんにもいらん、まっしぐらだということを教えて頂いた。
どうか一つね、その気持ちを忘れずに。ね、やって下さい
《求心やむとき即ち無事》
求心やむとき即ち無事の人なりと。求めよう求めようと外へ向かって行くほど苦しみが増える。
そうじゃなくて、回向返照をして、内へ内へと戻って来れば裸になるから、きれーいにもとの姿になりますよ、ということを老師がおっしゃっているんですね。
だからひとつ、そこのところが、これは大切ですから、何回お聞きになってもね、これ薬です。
じっと、こう、これと一つにさえなっておられたらね、もう確実にね、成る程、と言う所へ行きますから。
慌てたらだめですよ。
慌てず、ふためかず、ただ淡々として流れにしたがってさえおったら、いやでも落ちるんだから。
皆、その流れを自分流に曲げて来るから落ちない。
老師はああ言うけれど、わしはやっぱりこうだ、こうだと言って、ぐるぐる同じ所を回転するんですね。
そうじゃなくて、おっしゃった、それをお聞きになりながら、その通りに流れていらっしたら、もういやでも落ちます。
《コツコツコツ》
分かるも分からんも、そういうようなことはね、常識の範囲ですね。分かるとか分からんとかいうのはね。
そうじゃない。いやでもですよ、じゃ、こう(コツコツコツ打卓)、これと同じになったとこは、どこですか。
考えたら駄目ですよ。(コツコツコツ)どこがこうなっているの、あなたと。
で、止んだら何にも。同じようなことをコンコンコン言うたって、それは真似でしょう。
じゃ、これと同一に、あなたのどこがなっとるんですか(コツコツ)。
これ聞いとると言ってますか。じゃ、どこに(コツコツ)あるんですか、これ。
(コツコツ打卓)こんな素晴らしいもの。(パンパン打掌、コツコツ打卓)今、その通ーり、寸分違わずになるところはどこですか。
《どこが鳴っているのか》
ね、いやでも、あの音の通りになったでしょう。今、コンチンカンと鳴ったら。
聞く、知る、知らんということでなくて、あの音の範囲のものは皆、あの音と一緒になっとるところがあるはずですね。
それはどこにあるんでしょうか。
じゃ、みんなに聞いたって、「あれは音。耳が聞いた」と皆言いますね。
じゃ、それは経験の上に立って言ってるんでしょうか、それとも何にも知らなくても、この言葉だけの遊戯なんでしょうか。
あの通りになっとるでしょう。じゃ、今それを表現して、と言って、口で言ってて、キンコンカン真似してるだけでしょう。
あの音とは一緒でないですね。じゃ、あの瞬間、瞬間に鳴っとる時に一つになってるのが間違いない本当の音ですよね。
それはどこが鳴っとったんでしょう。-それに苦しんだんですよね、私も。
じゃ、生命の根源とは何か、ということ。
じゃあ、こうなんぼどこに探したって、これ切ったら血が出てですよ、それ痛い。
痛いですよね。ひょっと切ったら痛い。
血が出てて、これ放っとったら、だんだん血が出て、息がストップしますよね。
それじゃ、そのストップするまでと言ったら、「はあっ、はあっ」言うだけでしょう。
で、どこがなくなって、どこが生まれとるんでしょうか。
そういうふうに、本当に自分を、いろんな習ったり知ったり覚えたりしたことを全部横に置いて、
素っ裸の原因はどこだ、と追い詰めれば、必ずや真の自己に目覚めるはずです。
共有してる、ありとあらゆるものが共有しておる生命の根源にぶつかる。
それは知ることではない。
知情意のほかである。
《自分で自分を詮索しない》
どうか一つ、私はあなたにお願いすることはね、先ず、何かを知っても、そのままでいいから、
もう自分が積んだ経験、それから色々なことがあっても一つも、それを一つも取ってのけようともせずに
、
ただ、今から、こう動かすものは何か、しゃべらすものは何か、その原因を追い詰めるんじゃないんですよ、
一々の行動自体に乗っておりさえしたら、けつまづくんと同じでアラッというとこへ来ます、二年三年の内に。
あー老師が言ったのは、あーこういうことを思っちゃいかんと、あーこういう考えを持ったらいかんと、自分で自分を詮索しないことですね。
それをえり分ける自分が分かっていないのに、えり分けて明らかにしようとするのが人間の習性ですね。
だから、そうじゃなくて、何も知らないのだから。
《ゼロの自分》
ゼロのね、自分が明確でないから、どうしても何かにくっついたものからしか、出て来ない訳ですよね。
そのないものをいつでも今までの生活の経験から何かを引っ張り出して、口でしゃべっているだけですね。
本当はスッカラカンのはずです。
だが何かを答えるのには、自分の経験の糸を引っ張り出して来ないと言えん訳ですよね。
ゼロにおれない。だからゼロになればなる程、基礎がきれいだから、今までやって来たことが全部出て来るんですね、自由自在に。
だから、そういうことが、はっきりとして来るから、何も日常生活において、自分をこぎ使う必要はない。
ゆったりした、本当にいらいらもしないし、と言って、うれしいこともないし。いろんな表現が実に平凡になるんですね。
それは根底が明確になるから。根本が皆、明確でないから、色々な芝居をしとるだけですね。
だから、その根底を明確にするために、このわたしの今の話を聞いている訳ですよね。
作って行くんじゃないですね。
ゼロのあなたが持っていらっしゃるゼロの自分を明確にすることなんです。
捨てて、捨てて、何もかも捨てて、あなたの純粋性に帰りなさい、そうすると永遠の喜びがありますよ、とこう言うのです。
理屈の方でね、追い詰めても、これはどんなにしてもだめです。
理屈は後で分かるから、そうじゃない何にもない自分をはっきりとつかむことです。
じゃあ、どこでつかむか。つかむという表現をするけど、空気のようなものが空気のようなものを自覚するんですからね。
だからもうなんにもないんだから、始末が悪いんですね、本当を言うたら。
だが、そこへ何かの拍子で、ふっとなると、それから先は、その人のやり方一つで、ね、
ずーっと徹底、もうきれいにこの端から、この入り口へ来たんだが、ここまで行ってきれーいになんにもないゼロの人になる。
《義衍老師との相見、そして見性》
私は何も隠さず、老師のところへ行った。
老師は「わしは十二指腸潰瘍を取っとるんで、起きれん」と。
で、「あんたが敬宗君か。臨済の修行はほとんど済んどるそうなけど、じゃ聞くが、仏教は滅か不滅か」と。
「老師、仏教というものはどこにあるんですか」
「ほう、あんたそれを知っとるか」
「いや、知りません」
「知らんのに、なぜ仏教と言うた」
「ここへ寝ておるあなた何ですか」
「わしは玄魯だ」
「わたし敬宗です。(良久)老師、私聞きますけど、臨済のやっておることは、
こことここと、言葉で言うことと動くことと、この四つ以外には何もないじゃないか」とこう言うた。
「ほう、どうしてそこが分かった!」
「四料揀、五位、十重禁戒を全部やってみて分かった。
老師、これで修行が出来たなんて大嘘や。
聞きますが、老師、どこをどう得たら、人間として自分自身を、今、生きることを知っているんでしょうか」と言うた。
そしたら
「そこまで追い詰めとるか」と。
「それだからこそ、どこかに誰かおらんかと探しよったら、あなたがおった。
だから、あなたに習うこともない」と言うたら、
「待て! おれもおまえに教えることは何もないんだ! だが、教えることはないが、お前を出せ」とこう来た。
「偽りのないお前を出して来い」と。
私がそこで偽りを言うことをして、自分を自分でごまかすんだったら、ごまかしたかも知れない。が、
「ここが、胸先三寸(パンッパンッパンッ)が、どうにもならんから、これだけで困っとるから、来たんです」と。
「よくごまかさずに、嘘を言わずに来た。よし、これをやるのには、ここから聞いたら、こっちに出しなさい。こう持って行って、こう持って来たら、だめだよ。
ここで『おいっ』と言ったことを『何のために』と、ここへ持って来て『ああ、敬宗が呼ばれておるんだな』と。
それは作った世界だ。だから、ここから聞いたら、すっと逃がしなさい。目に触れても、そのままにしなさい。
業識はそのまんまで、知と意で扱いさえしなければ、いつでもゼロのはずである。そのこと、それを教えておる」とこう来た。
その時はちょうど竜巣院が開単だったからね。広島のおばあさんが来たり、大学の先生や偉い人が沢山おった。
「ああこれが臨済禅の、あの東福の管長さんについた敬宗さんじゃ」
「ああそうですか」
水野先生なんかも笑うたよ、わしを-「ああ臨済坊主は大したことはないな」
笑われてもかまわん。
おれは自分のことをしに来たんだから。
坊主になって、お師家さんになろうとか何とかじゃない。
自分が自分の、ここをどうするかで来とるんだから。
この人らは話を聴いて楽しんでおるけども、この話を聴いても、老師と同じようにならなければ、どうにもならない。だから私は話を聴かない。
それから一カ月くらいやったね。
八月十五日の晩に、下に大学の農学部の先生がおって、そこへ行って点心をよばれた。
そして玄関を出た途端に、お月さんが、「ハアッ」。もう何にも見えない。もうそれだけ。
「思い詰めたんかもわからん。ちょっとなんかなるんとちがうんかいな」と思うた。
それからつめってみたけど間違いない。
「ほほお。応に住する処無うして-すぐそういう言葉が出るのね、臨済におったから-応に住する処無うして而もその心を生ず。
ははあっ、なるほど、ものと私というものが一つになるんじゃない。初めから一つであったんだ」と。
で、飛んで行った。知っとる者がおるかな、と思って。
ほいから、その晩から、坐ったら、もう薮がずずずっとこうなるのね。もう笹がずずっとこうなるの。
それから一週間、飯食わずにやったね。ホオッ、いまだ曾て経験のない世界ね。
もうこの肉体というものが全然離れちゃって。
食べたいとかどうありたいとかいうことは一つも浮かんで来ない。つめってみると出る。
ノイローゼじゃないか、だけどここでは東司[とうす トイレのこと]に行くところがない(この辺り聞き取りにくく正確ではないかも知れない)。
で、今の大学[現在の浜松医科大学]のある下の方にね、実性寺という寺があった。
(それまでは実性寺で坐っていたが)そこから上へ(龍泉寺へ)上がって、老師や奥さんに頼んで、本堂(西の室中)の床間の前へね、一週間坐った。
ちょうど八月だから、毎晩毎晩、盆踊りの稽古をやってるのね、後で聞いたら。その太鼓の音が鳴る度に、飛び上がるんよね。
それほど概念の意識が、キレーイに落ちてしもうて。概念の意識が落ちたということは、もうそれを分別するものがキレーイにのいてしもうた。
だから、いつでも空気のような状態やから、「ボンッ」と来たら、「アッ」となるということやね。
ものといつでも同化するだけの小さな芽が出来つつあったんやね。
ほいで初めて、奥さんが何かで通ったら、オワーッとくさがでる。
ホオーッとそれから、「ヨシッ!」と言って一生懸命眼(まなこ)をおっ開いて坐っとって、明け方の太鼓の音で、
「ナアーンッジャーッ!」と、うれしゅうなって、涙ボロボロ出た。
それから松木の駅から可睡斎へ飛んで行って、顔を見て、
「老師!」。
「やったな!(良久)出してみい」。
「ははっ、つまらんこと言うんじゃないよ」。もう顔色が違うから。それでいろいろ「地獄極楽はどこにある」、「死んだらどうなる」。
性急な質問。何でもない。どんどん答えて行くしね。
「よくやってくれた」
その時雲水があそこに十四、五人おったんかな。
「これ、見性したから、一遍聞いてみなさい」。それで「じゃ老師失礼します。じゃ話します」と言うて、そこにおった。
「これ何ですか」
皆、こう頭に-。知ったことで答えなければいけないと、自分が自分で、作りよるのね、
沢山の雲水はね。こっちはそんなことはない。ただ「これ何ですか」と言うたら、そんなことには用がないのね。
引っかけただけだから。
「何か持っとるでしょう。それ、あるものがあるじゃないの」と言ったら、事簡単やね。
「それがどうしたんですか」と言ったら、もっと近かったらそうなるよね。もっと近かったら、来て、「何がありますか」と。
そういうことを、支那のお坊さんは沢山問答をやった訳よね。
だから、そういうように事がはっきりしたら、もうここで礼拝してもいい訳よね。本当に明確なら。
礼拝したら、「何で礼拝したか」とすぐに突っ込まれるからね。
だから一々の現成において明確になりさえしたら何にも答えられる。知る知らんは別に置いてね。それが臨済禅の特色。
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